誤解を恐れずに言おう「仕事に阿吽(あうん)の呼吸」はいらない。これはどういうことか?阿吽の呼吸とはとても日本人的な思考、習慣である。これは情報革命が起こった現在では、全てにおいて通用するものではない。それは一体どういういことなのか?
「阿吽の呼吸」は徒弟制度を強いる会社、大きな組織の中では仕事で経験を積めば偉くなって、ポストが与えられて…という環境では非常に重要な事なのかもしれない。しかし、今の仕事のやり方を広い視野で見てみよう。仕事は自社内で完結することは少なってきた。大きな意味でプロジェクトとして、会社間を横断し、そして外国の方とも仕事をすることが多くなっている。
「阿吽の呼吸が通用しない、依存してはいけない」と思ったのには訳がある。私が実際に中国の方と仕事をしたり、自分とは全く違う社会経験を持つ人、年齢も違う人と仕事をした時にそれを強く痛感した。
自分が「こういう言い方をすれば、当然相手はこうしてくれるだろう」といった考えを、相手は全く理解せずに行動してくる。相手が期待するように、当然のように動いてくれるだろう…というのは自分の思い込みにすぎない。それに気付いた。思い込みというのは怖い。
これからは今の情報革命によって、よりプロジェクトで仕事をすることが多くなるだろう。国籍、年齢、経験の違う方と仕事をする際「阿吽の呼吸」なるものを、持っていてはならない。持っていても信じてはならない。だれが、どう聞いても分かるような意思表示と、コミュニケーションが必要となる。
だから「阿吽の呼吸」は要らない、と私は断言する。