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レジェンド鈴木が日々感じたことを哲学するブログ。書評、エッセイ、ポエムも書いてます。

自己の「アイデンティティ」と「ステータス」の違いについて考える

アイデンティティ」と「ステータス」の違いについて深く考えてみた。「アイデンティティ」とは直訳すると自分らしさ、自己同一性という意味。「ステータス」とは今自分がどんな技能、社会的立場、価値を持っているのか、ということだと思う。私は「アイデンティティ」を一番大事にしている。この2つは決して同じではない。

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この2つの違いは、それが自分のコアな部分であり、引っぺがすことができるかどうかだと思う。「アイデンティティ」は自分を形成するそのものだから、ひっぺがす事ができない。かたや「ステータス」って外部環境の変化などで、もろく簡単に引っぺがすことができてしまう...。

例えば、私が大学卒業後、大企業に入社。その後転職してどんどん出世していく人生だとしよう。そこで今私が大企業の執行役員とかだとしたら、これは自分の「ステータス」ではあるが「アイデンティティ」自分らしさ、ではない。

アイデンティティ」とは3歳くらいまでに一度形成される自我と、その後に形成されるもの、2つあると言われている。前者は俗に言う「三つ子の魂百まで」というもの。後者は多くの人は18歳〜30歳くらいまでに培った価値観で、死ぬまでぶち壊すことなくそのまま持ち続けているもの。

私の考える「アイデンティティ」自分らしさ、とは何歳になろうが、常にぶち壊しながら生まれ変わり、追い求めることが出来るものだと思う。常にアップデートし続けるものなんだ。だからそれはどんどん、自分を形成するコアな部分となっていく。

よって「アイデンティティ」は死ぬまで永続的な自己形成であり、「ステータス」はその時の自分の状況を表現するものである、と考えている。