Real Blog

レジェンド鈴木が日々感じたことを哲学するブログ。書評、エッセイ、ポエムも書いてます。

野良猫、今を生きる

みなさん、こんにちは!猛暑日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。うちはお盆の帰省を諦め、思い切って長野県八ヶ岳にあるキャンプ場へ行ってきました。標高1200メートルのキャンプ場でとても涼しく、夜は20℃くらいで寒くて眠れないくらいでしたね。
 
 
さて、またもや野良猫「茶々丸」のお話です。今まで猫が嫌いだった私ですが、毎日うちにやってくる茶々丸に心を動かされ、いろんなことを感じています。
 

f:id:realblog:20200823112717p:plain

野良猫の生き方を見ていると、自分と似ているなぁ、と共感できるところもあります。

 
 
彼はうちの近所を自由に徘徊しています。お腹が空いたらエサをくれる人の家に出向き、好きな時に食べて、寝て、気が向いたら動きたいのです。自由奔放といいますか、今を生きている、って感じですよね。
 
 
人間と違って明日のことなんて考えていません。
 
 
そんな茶々丸ですが、息子達はよく「茶々丸をうちで飼いたい!」と言います。その話が出る度に、私は反対しています。
 
 
茶々丸はエサをもらいにうちにやってきますが、決して飼い猫になりたいわけではないのです。 
 
 
だって、野良猫には野良猫の生き方があり、茶々丸はきっと自由に生きていたい、という猫なのです。エサが欲しい時に「ニャ〜」といって人にすり寄ってくるのは、彼の処世術です。人間に媚びたいわけではないのです、きっと…。
 

 

野良猫のプライド、生き様について考えさせられる出来事がありました。

先日、嫁さんの実家のお隣さんが、こんな経験をしたそうです。
 
  
お隣さんの自宅の車のボンネットから、猫の鳴き声がしたそうです。ボンネットを開けてみると、カワイイ子猫が鳴いていたそうです。どうやら、車の下からエンジンルームに入り込んでしまったらしく、出られなくなってしまったとのこと。
 
 
お隣さんは「うちでこの猫を飼おうよ」と、飼う気になっていたそうです。ところが、そこへ子猫の親猫が突如現れて、子猫を連れて早々に立ち去っていったのです。
 
 
その野良猫の親子は、助けてもらった恩は感じつつ、自分たちの生き方がある、と人間に言いたかったのでしょうか。自分たちは飼い猫には成らない、というプライドを感じさせてくれたエピソードでした。
 
 
子猫だったら、きっと人間と上手く生活できたと思います…。
 
 
茶々丸の話に戻ります。
この猫はもう子猫ではないし、毎日自由にうちの町内を歩き回っています。
 
 
正直、うちで飼い猫として一緒に生活することは難しいと思います。
 
 
確かに茶々丸はエサが欲しい時だけ、すごい勢いでじゃれて鳴きながら甘えてきます。彼らは食べられる時に食べる、しかないのです。明日も明後日も、一ヶ月後も同じように、同じ時間帯に食事にありつける保証はありません。
 
野良猫には野良猫の生き様、プライドがある。今、この瞬間を生きています。 そして、飼い猫は忘れてしまった、野生の本能を丸出しに、いつも周囲を警戒して生きています。
 
 
だから爪はするどく長く、少しじゃれて引っかかれただけでも、痛いのです。
 
 
彼らはまさに、今を生きているのです。 それが猫の生き様なのです。